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 ボランティア〜新しい支援理論としての提案

スタディから(Study)エクスポージャ(Exposure)へ
―直接的なかかわり、そして答えを自分で見つけ出す体験活動

・ありのままの状況に接し
・それを構造的に理解し、(なぜ、こうなっているんだろう?)
・主体的に願いや夢を行動に移していくための共同作業(なにをしたいのか)
エクスポージャとはなにか(身体に風をあて、光にさらすこと)
 現在まで数多くの“スタディー”ツアーが実施されていますが、この“エクスポージャー”とは、ここ数年の新しいボランティア・支援活動に取り組むための体験活動を実施する際の理論です。
もともとエクスポージャとは、「露出する」「光に当てる」「さらけ出す」といった意味があります。
 いうなればスケジュールやカリキュラム、答えが事前に用意されたスタディのような傍観者的ではなく、より自己投入的であり、かといってレクチャーや視察、社会調査や疑似体験活動でもない、「個人」にウエイトをおいた体験活動のことをいいます。

 エクスプロージャプログラムは、本や講義で学んだ方法論に基づいて対象地域に踏み込むスタディでも、観光バスの窓越しの視察でもありません。今までのボランティア・国際支援が現地の代弁者たるボランティアリーダーの言葉を信じ、その人に任せ、異を唱えないという「代行主義」に代わろうとするものです。

 これまで自分がまとってきた殻(パラダイム:規範意識)をできる限り脱ぎ捨て、自分が変わり、出会った人々との関係をそこから洗い直し、さらに自分たちを包み込んでいる全体的・構造的・歴史的な問題を理解克服していくための「共同作業」のことをさします。そこで大切なのは、参加者が一人一人主体的に判断し、自分の考えを持つこと。これは、立派であることや、難しいことであることも、正解であることも必要としていません。自分を代表できるのは自分だけであって、他の人が代弁することはできないというのが原則です。つまり、友人同士で参加しても、グループで活動しても、あくまで基本はまず個人におかれる。そんな一人一人が主役となり、まず自分が何を感じたか、を大切にする学習活動です。善悪ではなく、「なぜ、こうなっているんだろう?」というありのままを見つける視点こそ、これからのボランティア体験活動において重要な理念となると考えています。

また、エクスポージャの場合、終了後に個人個人が見聞きし、感じ取った現実の分析作業をどのように共同で営んでいくのか、ということも重要になります。個人の見方はあくまでその個人のものであり、さまざまな他者の意見を聞くことが、自分とは異なる視点や、さらに深く理解するきっかけを得ることになります。

“私の視点”を大切にすることと同様に、“他者の視点”を尊重することができないような仕組みでは、お互いにただの自分勝手・わがままな展開で終わってしまうことになります。

主体的であることー多様性を認め合う

「正しい」という字を見ると「一つに止まる」と書かれていることに気がつきます。

これは価値観がひとつに集約されていくことを示しています。それにより個人は統一された価値観に従い、自らの判断を行わなくなっていきます。

 つまり「途上国の人々を助けること」という正しさは、結局のところボランティアのもっとも大切な精神である「自立的である」ことから、そして自らが決め、それに対する責任から遠ざかっていることになります。

 何が正しいのか、という価値観や判断は、時として現実の問題や争点から目をそむけることにもつながります。そういった価値観や使命感に基づいて支援にかかわることが間違っているとは思いませんが、その価値観が時として目の前の現象から遠ざかっていくことになりはしないか、ボランティアや支援活動にとってもっとも大切な、「知る」ということを見失っていることにはならないだろうか、と感じています。

 昨今のボランティアブーム(?)を受けて、いま多くの日本人が支援のために海外で活動しています。みなさんのなかにも、そういった国際支援活動に携わりたい、という夢を持った人が増えてきていることと思います。

 しかし困った人に対して「助けてあげるべきだ」という価値観が最初にありき、というのもおかしな話です。私たちは関係性の中で生きているわけですから、いったいどんな人と関係を持ち、そしてその人がどんな困窮状態にあるのか、またどのような文化的・政治的・歴史的土壌の中で生きているのか、という現象をまずありのままに受け止める作業が、欠落してしまっているのではないでしょうか?

 「知る」ということは大きな困難が伴うものです。自分が生きてきた、是と思っていた価値観とは違うものを受け入れるということの厳しさより、なにが「正しいのか」という規範意識を持って他国の人々と付き合うほうがよっぽど簡単です。

 しかしその困難な理解の過程からにこそ、自立的で主体的である活動が生まれてくるのではないでしょうか?

エクスポージャーの条件
1、状況に接する
現地との交流とコミュニケーションを基点に、貧困・抑圧などの構造を理解していく
自分で見聞きし、理解したことを大切にしていくまた、人々がその地でどのような暮らしを営んでいるのか、その暮らしにおいて本来達せられるべき人間的状態の実現を妨げている要素が何であるのか、を自分の目で確かめる
2、構造的に理解する
問題にともに立ち向かうための状況理解、その国のおかれている国際的関係・歴史・文化などを構造的に理解していく
3、行動する
自らの目で確かめ、耳で聞き、全身で感じ取ったことの意味を確かめる
頭で理解するのではなく、「首から下」で感じ取ったことを大切にする
4、自分の主張を持つ
「自分で見る」ためには、独りよがりではない、自分なりの考えを持っていることが必要になる
自分の考えをまとめるために、他者の意見を聞いたり、討議を通じて自分とは異なる視点を見つけることの楽しさを大切にする

5、「異質」なものを認め合い、共生していくこと
支援対象国の人々だけでなく、ともに旅する仲間のなかにも、自分とは違う意見や思想を持った人がいる、ということを認め合い、「違う」ということを違和感ではなく、楽しみとして受け止めることの大切さ

エクスポージャーの楽しさ

エクスポージャは、参加者たちをその日常性の枠から否応なく別世界に引っ張り出します。

エクスポージャに参加するとき、私たちはただ漠然と眺めているのではなく見極め(not only see but look)、ただ耳にするだけではなく注意深く聞き分け(not only hear but listen)、知識を得るだけでなく状況を肌で感じ取る(not only know but feel)ことが求められるのです。

主体として世界と向き合うということは、訪問した国々の人たちの毎日の暮らし、働く姿、たくましく生きる姿を見ることにより、「かわいそう」という感情ではなく、おなじ現在を生きる人間としての共感を覚えてほしい、ということを指しています。参加者に現地への「あわれみ」を感じさせるような、あるいは「施し」「慈善」を目的とするようなプログラムは、相手の人権と人間の尊厳を傷つけることであり、対等な立場での相互理解を生み出すものではない、という考え方がエクスポージャの根底にあるといえます。

具体的にはディスカッションや討論を保障するためのフリータイムの確保、ロールプレイによる全員参加の意見交換、個人のコメント記入とその共有による双方向性の確保・メーリングリストやホームページの活用により、参加者一人一人が主役であることを保障する仕組みつくりなどが求められるでしょう。

また、討論やその時々の活動において、つねに参加者の疑問に明確に答えられるような、レクチャーする人ではなくアンサーの役割を果たせるような、理論面でのリーダーの存在がポイントともなります。

自分が何を感じ、そしてそれを他者と交換すること、そして現実をありのままに見続ける勇気を共生の中から見つけ出していくことこそ、エクスポージャの醍醐味である、といえます。

ぜひこのあたらしい理論に基づいた国際支援活動を緒に創りあげてみませんか?!